「自由のためにルールがある」
高校の廊下の踊り場、廃部寸前のラグビー部の新入部員募集の張り紙にそう綴られていた。
僕は言葉が好きだ。
無機質な言葉は組み合わせると温度を持つ。
時に暖かく、時に冷たい。その文字と文字が紡ぐ化学反応が愛おしい。
人間の感情、思い、意見は無限である。
心の中にルールはないし、何ものにも邪魔されない。
古代ギリシア。
闘技場ではルールなき、無慈悲な殺し合いが行われていたという。
心の中は現代に残る最後のユートピアなのかもしれない。
心の中を僕たちは言葉で表現する。
無限の心を有限の言葉で外の世界に放り出す。
コミュニケーション能力。
その本当の意味は言葉の中に内在する自由をどれだけ使いこなせるか、だと思う。
ルールは工夫を生む。
制限は想像力の母である。
言葉には工夫が込められている。
本には工夫があふれている。
工夫の深淵を覗きたくなる、その衝動に駆られ、ページを捲る。
自由は求めない。
この世の中、何かに追われ、何かに制限される。
そのひどく窮屈な社会を僕は誰よりも自由に闊歩する。
自由と制限は寄生虫と宿主。
二者択一ではない。
僕らはなぜ制限から逃れ、自由を求めるのか。
制限を受け入れられない僕らは自由になれない。
現代人には、ラグビーを作り出すことはできやしない。
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